先日、その136「日本剣道形の理法を竹刀剣道に活かす」をホームページ・広報委員の柳沢 伸也さんに送信したところ、早速、井蛙剣談のコーナーに掲載していただきました。
その柳沢さんからの返信に「剣連の道場でも、東京都形剣道大会に向けての稽古が行われています。選手の皆さんにも伝えたいと思います」と書かれていました。
あっ、いけない!
私は慌てて「形の演武は、勝負の理が前面に出ると混乱するので、形剣道大会の選手には、ことさら伝えないで下さい。あれは真剣勝負の先を取って勝つ理法です」と返事を書きました。
形剣道大会においては、あくまで『日本剣道形解説書』また『剣道講習会資料』に記述してある内容をどれだけ具現できているかの勝負です。
「守破離」をもう一度おさらいします。
「守」は指導者の教えに忠実にしたがって学び、それを確実に身につける段階。 「破」は「守」の段階で学んだことについて、工夫を凝らし、さらに技術を高める段階。
「離」は「守」、「破」といったことを超越して、技術をさらに深め、独自の新しいものを確立していく段階です。
前回「打太刀と仕太刀の呼吸がピッタリ合い、緩急強弱を心得た、間拍子よく発気揚々と演じられる日本剣道形には魅了される剣の世界があります」と述べましたが、これはあくまで「守」の範疇で演じられるものでなければなりません。
東京都形剣道大会において競う内容は、あくまで「守」の段階での話しであります。
それを『日本剣道形解説書』14ページ「大日本帝国剣道形」(原本)の[説明]にあるように「仕太刀先々ノ先ニテ勝ツノ意ナリ」のごとく、仕太刀が勝者の位で間合に接したなら、気の噛み合いに齟齬を来し、決して魅了される演武にはなりません。
原本の[説明]では、仕太刀が勝つ理を示していますが、形を〝行ずる〟あるいは〝演ずる〟場では、あくまで打太刀「師の位」、仕太刀「弟子の位」の気組みで立ち合う日本剣道形でなければなりません。
原本[説明]の実践は、ぜひ竹刀剣道の稽古でお願いします。
その上で「破」の実態について、耳を傾けてほしいことが一つあります。
往古における剣術の流派は数百流あると言われており、各流派はそれぞれ剣の理合と実践の経験をもとにして作られた形によって剣術の修錬を行っていました。
形稽古においては日本剣道形と同じように師匠が打太刀、弟子が仕太刀のかたちで行われたでありましょう。
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弟子が師匠の元に入門する。
「打太刀・師の位、仕太刀・弟子の位」よろしく、蜜月の「師弟同行」の日々が続く。
修錬を重ね、年を経て、弟子は技倆を上げる―― いざ、師弟の組太刀稽古⁉
対した師は、弟子の心気の強さに圧迫され、不覚にも先に手を出し、まさに「仕太刀先々ノ先ニテ勝ツ」状態となる⁉
師弟間に険悪な空気が流れる⁉
もはや「師の位」を保ちえない⁉
これまで、と、師匠は弟子に印可を与え、弟子は師匠の元を辞する。
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このような師弟の関係性が古流剣術各派における「破」の実態ではないでしょうか。
このまま同道すれば、あらぬ角逐の因となりかねません。
厳しい世界ですが、これも形態をかえた「交剣知愛」と言えましょう。
「離」については、兎にも角にも…
つづく
頓真